これまで

終わりました。大学受験が。

結果だけ言えば初志貫徹ということで当初の志望校に合格することは出来ましたが。いかんせん勉強量があまりにも少なすぎるので罪悪感はかなり大きい。

思えば高校生活の間で一番勉強してたのは高2の頃だった。ほぼ日手帳に勉強内容とその時間を記録してたんだって。ちょっと信じられない。まあ手帳をやめたのは頭の中で時間を勘定できるようになったからだけど。あの頃はたぶん目に見える成果が欲しかったんだ。

高3になってからは4月当初から英語の予習を一切やめ、途中で古文漢文もやめ、秋が終わる頃には数学もやめ……。どんどん堕落していくのは火を見るより明らかだった。それにも関わらずマーク模試・記述模試共に第一志望の判定はA判定から変わらなかった。贅沢な悩みなのは分かっているけど、モチベーションを保つのはかなり大変だった……というか保てていたのかどうかも疑問で。

センターの勉強をし始めたのは確か12月から。社会科目はもう少し早かったかもしれない。9-10月はひたすら数学と化学をやっていたので、世界史をやってみたら5割ほど知識が抜けていて散々だった。事件の名前・人の名前とその時期が結びつかない。これでセンター試験の点数が取れるはずはなかったし、実際取れなかった。

河合塾の全統センター試験プレテストで学類1位を取った生徒が本試験では40/60位。8割どころか700点すら取れていなかったのだから当たり前だった(河合塾の出したボーダーは675点)。

その後は2次試験までひたすら勉強……というルートにすらならず、チョイス数学ⅡBや化学重問の解けそうな問題を撫でるように解いていくだけだった。1日の勉強時間が3時間を超える日は滅多になかった。しかし過去問の答えは大体(この時期で大体というのも酷いが)覚えてしまったので、落ちる気はあまりしていなかった。気が抜けすぎていた。

本試験では最初の2つの英語と数学がイージーモードで「勝った……!」と思った矢先に最後の化学で首を思いっきり締められた。無機はマンガン・化学Ⅱは反応速度・有機は高分子化合物……赤本に載っていたどの年度よりも最悪の組み合わせだった。有機は解答用紙が2枚あったが2枚目は白紙で出した。マンガン乾電池の反応も覚えてない。確証を持って書けたのは反応速度の7割ぐらいと、水・過酸化水素の分解の反応式程度だった。試験が終わった後は絶望しかなかった。その後のオフにまともなテンションで出られるかさえ不安だった。

センターが悪かったので後期試験は出願していなかった(余談だが、後期に出願する予定でし忘れていた友人も居た)。つまりもう残す試験は無く、例によって大学に生殺しにされ、その間は漫画を読んだりネットサーフィンをしたりツイッターをしたりツイッターをしたりツイッターをしたり、寝る前になれば「意外と受かっちゃってるかもしれない」「化学がアレなんだから落ちてるに決まってるだろ」の繰り返しだった。

発表当日はさすがに早く起きてしまった。粘ったのだが発表30分前になって降参した。パズルゲームをしたりツイッターを見ていたら発表開始時刻を過ぎていて、慌ててネットで確認したら、自分の前の番号から3人後の受験生まで全員受かっていた。疑う余地は無かったがそれでも受験票を取り出して確認してもやっぱり自分の番号はあった。「そうなのか……」と思った。

こんなクズ受験生が何かを言えた立場ではないことは自覚しているが、次に受験生になる人たちがいたら是非伝えたいことがある。目標は高く持とう。目標が低いのにそれ以上を目指せるわけがない。模試は残酷にも正確な偏差値・順位を突きつけてくる。そしてそれが自分にとって満足できるものであってはならない。何としてでも僕のような道を辿らないように頑張ってほしい。

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